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笛吹市春日居町は、甲斐国最古の都が置かれた場所といわれ、館内の「郷土歴史コーナー」には高さ約5?の甲斐国最古の三重塔復元模型が展示されている。同館近くに残る寺本廃寺にあったとされるもので、現存する白凰時代の法起寺三重塔・薬師寺東塔を参考に、縮尺5分の1の大きさで推定復元された。 同館の企画展示室では、年3〜4回の企画展が開かれている。これまでに「安野光雅展」「金子みすづ展」などを開催した。また、反戦をテーマに毎年開かれるメインの企画展示「わが町の八月十五日展」は、笛吹市出身の戦没者の遺影と寄せ書きされた日の丸の旗などの遺品を展示する。1000人以上の遺影が並び、戦地に散った20〜30歳代の若者を偲び、平和の大切さを次の世代に伝えている。 館内には小川正子記念館が併設されている。ハンセン病患者救済に生涯をかけた女医・小川正子(1902〜1943)の業績を永く後世に伝えるための特別展示室で、医師であり歌人としても優れた才能を発揮した小川正子の貴重な資料を展示している。また、晩年療養した家も復元されている。 小川正子は明治35年春日居村(現笛吹市春日居町)桑戸に生まれ、甲府高等女学校(現甲府西高校)を卒業後、結婚をするが3年足らずで離婚。その後医学を志し、東京女子医学専門学校(現東京女子医大)に入学、卒業間際に見学した病院がきっかけとなり、ハンセン病患者救済活動の意志を固める。 そして東京の病院などで実習を重ねた後、岡山県の長島愛生園に医官として迎えられ、高知などの僻地における患者救済活動を始めた。 しかし、昭和13年に過労から肺結核が発病し、1年間療養をするが、昭和18年に41歳でその生涯を閉じた。 この小川正子の生涯の活動をまとめたものが手記「小島の春」で、当時のベストセラーになり、のちに映画化されて、多くの人に感動を与えた。 当時は結核にかかって死亡すると衣服などはすべて焼却されてしまうため、正子の遺品はわずか数点が残されているだけである。展示室には、小川正子の年譜や胸像、短歌のほか、自筆の日記、貴重な正子が着ていた衣類が展示されている。そして復元された「療養小屋」の中には、療養しながらもハンセン病患者に思いをはせ、心配そうな表情をした正子の人形が置かれている。 ![]() |
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