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「作品は私が生きてきた証し、この美術館は私の分身」と言い切る久保田一竹氏(1917〜2003)は東京都生まれ。20歳の時、江戸時代初期にその姿を消してしまった文様染「辻が花」に魅せられ、独自の「辻が花」の製作研究を始める。敗戦後、シベリア抑留を経験。復員後、40歳から本格的に研究を再開。「赤貧の時代を経て」60歳で「一竹辻が花」を創案する。 1977年から作品展を開催、国内はもとよりヨーロッパ、北米でも展覧会を開き好評を得た。90年にはフランス政府から「フランス芸術文化勲章シュヴァリエ章」を受賞。96年には、現存作家の個展を過去一度も開催したことのないアメリカ・スミソニアン博物館で個展を開いた。自然の作り出す光景や人とのふれあいから得た感動を作品にする久保田氏は、富士山をこよなく愛し、作品の題材としてもたびたび登場させている。 久保田一竹記念館として平成6年にオープン。富士の見える場所に富士山(ピラミッド)の形を模した建物とした。平成9年から同美術館とした。 樹齢1000年を超すヒバの大黒柱16本を使い、木組みはすべて見える造りになっている。同氏がインドや東南アジアで集めてきたアンティーク家具がところどころに置かれ、館内には無国籍な空間が広がる。建物自体がひとつの作品といえる。 シベリア抑留時代にインスピレーションを得た代表作「燦(さん)」、連作で四季と宇宙を表現する「光響シリーズ」など、久保田氏の作品3、40点を展示。2、3ヵ月に1度展示替えをする。「光響シリーズ」は全80枚の大作で、テーマごとに15枚前後の作品を並べて一つの絵になっている。現在「秋」と「冬」が完成し、さらに氏亡き後、二代・久保田一竹(悟嗣)氏と一竹工房がシリーズを継承、「宇宙」を合わせて44枚が完成している。 春は桜、秋はモミジが美しい庭にも久保田氏の感性が生かされている。壁に「沖縄しっくい」を用いた「新館」には、久保田氏が収集したトンボ玉を展示する「蜻蛉(とんぼ)玉ギャラリー」とカフェ、ミュージアムショップがある。 ![]() ミュージアムショップ |
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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 「蜻蛉(とんぼ)玉ギャラリー」 |