1月14日付
大吉

夢のような 「初夢」

首長の知的進化、追従型行政の返上
経済、教育、社会にも劇的変化が


 旗雲のたなびく富士山頂を背景に、二羽のチョウゲンボウが西へ飛んで行く初夢を見た。これぞ 「一富士二鷹」、初春の 「瑞祥 (ずいしょう)」 だ。3個のナスビが登場しなかったのは点睛 (てんせい) を欠くものの、わが家から富士の方角には昨夏も広大なナス畑が広がっていたのであって、現にその跡地には原種に還ったナス畑が寒に耐えながら青々と生えている。こんな吉兆を独占するのは気がひけるので、ここに記して読者へのお年賀に供したい。
  「一富士二鷹」 の映像に続いて、最初に登場してきた夢の主題は、地方政治だった。驚いたことに、知事をはじめ県内の全市町村長が、夢の中では実に知的に変身していたのである。彼らは、現代という 「時代」 を歴史的に的確に位置づけ、そこから未来に向って地域をどの方角に誘導すべきか真剣に考え、政策課題を 「論理的に」 摘出していたのである。
 こうしてなった首長の政策提案に対して、議会からも活発な論議がなされ、住民はパブリックコメントとして盛んに意見を発している。数年前までは、選挙目当てに取ってつけたような 「公約」 なるものを発表し、当選すればそんなものは弊履 (へいり) のごとく捨てて顧みなかった多くの首長が、これは驚くべき 「知的進化」 ではないか。
 こんな首長の変身を受けて、初夢に出てきた自治体行政も実に希望の持てるものだった。言うまでもなく現状の地方財政は火の車だ。このような不見識な赤字を作ったのは、中央政府に迎合追従し、政府が発する景気対策の補正予算に併せて唯々諾々と起債を増やしてきた結果である。
 こういう愚を再び犯さないだけでなく、地方分権の主体となれる自律した自治体を創ろうと、地方行政マンの意気はきわめて軒昂 (けんこう)。財政難ゆえに低下しがちな行政サービスだが、その質を落としてはならないとして、ようやく芽生え始めた地域NPO(民間非営利団体) などを指定管理者として活用し、あるいはPFI (公共事業に民間資金や経営能力を活用する手法) などを積極的に導入しながら、住民自らが自治に参加できるシステムを構築していたのである。
 その結果、従来のように陰気で不親切で、コスト感覚に乏しい行政は姿を消し、財政負担は著しく軽減されているのに、行政サービスの質・量とも数年前よりはるかに豊かになっていた。
 地域の経済界も様変わりを始めたようだ。つい先頃まで、人件費を削減するために途上国へ進出することなどばかり考えていた企業経営者たちが、地域経済にとって最重要なのは、ただ単に企業が存続することなどではなく、そこに雇用を確保する主体として自らが存在していることだ、ということにようやく気が付いたのである。
 そのために、親企業の尻馬に乗って海外進出をするのではなく、どっしりと地域に陣取って産学官民の連携を進めながら技術革新に専念し、高付加価値型経営を目指すことで雇用を確保しようとし始めたのである。その結果、中小企業の技術力やモラルが格段に向上し、あの 「失われた十年」 という言葉は、筆者の初夢の中では、もはや死語と化していたのである。
 初夢の中では、学校教育も大いに様変わりしていた。今まで、学校現場で起こっていた数々の不祥事は、建物などの物理的環境が劇的に向上したのとは裏腹に、子供たちにとってそこが生きづらい 「過剰接触型閉鎖空間」・「心優しい強制収容所」 と化してしまっていたためだと言う。その閉鎖的空間が、明治5年義務教育令発布以来、はじめて劇的に改革開放されることになったのだ。今や、これが 「三位一体」 改革中最良の成功例だというから皮肉なものだ。
 このように地域社会が活性化したために、あれ程までに多発していた犯罪が激減し、人々の表情にも明るさが戻ってきた。高齢化率に変化は無いものの、高齢者はボランティアやNPO活動を通じて、昔取った杵柄 (きねづか) が社会から高く評価されるため、確実に生き甲斐を取り戻した。男女共生が定着し、安心して子育てができるようになったため、特殊出生率も2・0に手が届くところまで回復しているという。障害者のノーマリゼーションは格段に進み、それが地域社会にほんのりと暖かさを作り出していた−。
 このように、筆者の初夢は 「大吉」 と出た。ようやく待ちに待った 「良い時代」 が、間もなく到来するらしい。
 それはそうと、「初夢」 の報告に夢中になっていて、ご挨拶が遅れた。新年おめでとうございます。今年も本欄をご愛読下さいますよう。



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