1月21日付
教育の地方自治

現状打破は教育委員会の改革から

鈍い職場環境刷新への取り組み
県民の中から教育変える動きを


 本紙前号は、政治団体 「県民主教育政治連盟」 (県政連) が現職の校長、教頭、教職員らを通じて資金を集めていた事件に対して昨年12月27日に県教委が行った処分を一面で大きく報じ、「記者の目」 欄でも解説した。この事件は子どもの教育に少なからぬ影響があるので、私なりに考えてみたい。
 まず、文部科学省が 「法律上の根拠が分からない」 としている点にふれておきたい。
 公立小中学校教員の給与は義務教育制度をしっかり支えるために原則として都道府県が負担し、これに国庫負担がなされている。この県費負担教員の任命権は県教委にある。したがって、給与上の不利益や任免が問題となる戒告、停職、免職という懲戒処分権は県教委にあるのだが、日常の服務監督権は教員の所属する市町村教委にある。そして、今回なされた 「訓告」 や 「厳重注意」 というのは市町村教委がもつ服務監督権の一部と考えられている。だから、県教委が 「訓告」 や 「厳重注意」 をするのは筋ちがいというわけだ。
 山梨県の教育界は1951年の天野久知事実現に山教組が大きな役割を果たして以来、一貫して県政与党としての発言力を持ち続けてきた。
 1961年までは校長も教頭も山教組の組合員であり、脱退後も校長会、教頭会、山教組は三者協議会を通じて常に意思疎通を図っている。これは他県にはない山梨の特異な状況で、全国では教員組合の組織率が30%を切っているのに、本県の小中学校では99%という突出した数字になっている理由もここにある。
 県教委の説明によると、今回の資金集めは各自の個人的行為であるが、教育公務員特例法に違反する疑いもあるので、疑惑を招く行為をした個人 (校長・教頭) 15人を 「訓告」、関わりをもった3団体の責任者4人も 「厳重注意」 処分としたという。
 だが、集めた金額は校長3万、教頭2万、一般教員1万と決して少なくないし、教育界が組織ぐるみで選挙資金集めをした疑いは消えない。テレビ報道に匿名で答えたある組合員は、「(組合の) 分会長から集金の要請が来る。学校内で集めて教育会館 (県政連) へ持っていく。応じないと管理職が、人事のことも考えて協力した方がよいと説得する」 と答えている。
 県教委の説明よりこの方が真実に近そうな感がある。そして、学校内で人事権を背景としたこんな圧力があるとしたら、教育の世界はさぞ息苦しいものだろう。
 こうした職場環境を刷新する動きが起きてこないのはなぜだろうか。組合運動で指導的役割を果たしたものが管理職に登用され、その中から教育委員会幹部も選ばれるという教育の世界の強い一体感が自由な発言を阻んでいるのではないか。そして、県教委もやはり山教組を中心とする教育団体の政治力に一定の配慮をしているふしがある。法的根拠不明な処分で事件の落着を急いだのにもそんな理由がありそうだ。
 政治の中で教育に携わるものの発言力が一定程度確立していることはたしかに重要だ。しかし、そのために学校内や教育の世界で自由な論議ができないとすると逆に大きな問題ではないか。教員が解放的雰囲気の中で子どもに対することから、教育の自由は生まれる。この教育の自由は子どもの健全な発達にとって不可欠のものだ。  全国で学校の教育力の低下や教育現場の荒廃が深刻になっている。これは本県でも例外ではない。教育の世界だけに閉じこもり、かばい合いをしている時ではない。
 教育の閉塞 (へいそく) 状態打開のカギは教育委員会の改革から始めるしかないのではないか。すでに、いくつかの自治体では教育委員の公募を実施しているし、その選考に住民が参加している例もある。教育界に自浄能力がないとしたら、子どもを学校に送っている親や地域がそれを積極的に促してゆくしかない。
 教育の地方自治には文科省からの自立とともに、住民自治原則の確立も重要だ。これを県内政争の具にして欲しくないが、県民の付託に相応 (ふさわ) しい教育の実現へ向けて、山梨の教育を変える動きを県民の中から起こしたいものだ。



掲載の記事・写真の無断掲載を禁じます。ホームページの著作権は山梨新報社に帰属します。