1月28日付
活性化

中心街の“フェロモン”は?

身近な非日常性と、語らう場
本を自由に読める空間も魅力


  「シムシティ」 というテレビゲームをご存知ですか。何もないところに新しい町を作っていくテレビゲームですが、インフラを整備しないと犯罪や火災が多発し、その対策を講じると税金が増えて市民からブーイング。また、工場が足りないと住民に働くところがないと言われ、多いと公害発生の警報が鳴る。そして、生活への不満が我慢の限度を超えれば人口が減るし、逆にバランスがとれたいい町と評価されれば人口は増える。
 このゲームに何回かトライしていますが、問題が山積して終わりがないというか、“警報が鳴りっぱなし”という状態に陥り、いつも電源を切ってしまいます。でも、現実はゲームと違って、電源を切るわけにはいきません。
 中心街の活性化という問題は全国の地方都市に共通の難問です。地方は東京よりもはるかに自動車社会になっていますし、電車も昔に比べてスピードアップしています。その結果、山梨でも“日常品は郊外のスーパー・量販店で調達し、特別な物は東京で買う”方々が増えていると思います。
 そうした現実を前提に、それでも人を引き付ける“中心街のフェロモン”は何か。テレビゲームすら成功していない小生としては大上段の議論は遠慮して、初老の域に達しつつある自らの視点で、ちょっとお話をさせていただきます。
 ひとつは 「非日常性」 です。家に居ては味わえない楽しみへの期待に引き寄せられます。さりとて、自分の居場所もないほど異質な世界も困ります。気持ちがくつろげる“身近な非日常性”を与えてくれる空間、店、サービスがいいですね。きれいではなく小さくてもいい。最近各地で増えているお祭りや市場、あるいは衛生的な屋台も歓迎です。そういった店や場所が混沌こんとんと集まり暖かい街になる。そぞろ歩きをしながら、その日の気分でふらっと立ち寄れる。そんな街があれば最高です。
 もう一つは、そこに行けば誰か居る 「仲間で語らえる場所」 です。一昔前には、そんな喫茶店がいっぱいありました。話し合うこと自体楽しいことですし、そこから何かが生まれる可能性もあります。今でも夜になると常連が集まる飲み屋はありますが、日中でも、気軽に仲間が十数人集まって話し合う場所は意外に少ないですよ。先日もある人が、「甲府の中心でそういう会をやりたいが、場所がない」 と困っていました。
 ところで、中高年の皆様、本の置き場に困っておられませんか。愛着のある本、思い出のこもっている本、さほど大切ではないけど本だけに捨てるに捨てられない本などなど。ただでさえ狭い家をさらに狭くして家人に迷惑がられ、でも僕にとっては大切な宝です。この宝が活きる方法はないものか。
 思い当たったのは、その価値を分かる人に読んでもらうことではないかということです。それでは、どうやって読んでもらうか。常識的には、図書館などに寄贈するのでしょうが、それでは、「はい、ご苦労様でした」 ということで、書庫の中で永い眠りに就いてしまう恐れがあるし、そもそも大方の本は引き取ってくれないかもしれない。
 そこで荒唐無稽むけいなことを考えました。もし、同じ思いの方がおられれば、みんなで本を供出し、中心街に“誰でも自由に読める場所”を作ってしまう。
 シーンとした閲覧室でじっと読むのではなく、持ち出し自由、喫茶店でも寝転がってでもOK。タバコを吸いながらでも、友人と話し合いながらでもOK。本の管理は大変でしょうし、読む人のモラルも問われます。でも、そこに行けば、未知の本との出会いがあり、仲間との語らいもあります。若い人達に読んでもらいたい本もあると思います。新たな人生の楽しみがあるかもしれませんよ。



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