4月1日付
議論下手

県政課題に議論尽くしたか

並行した議論、一転「全県1学区」に
明野最終処分場、説明責任果たしたか


 アメリカの大学の教養系講座には 「言語コミュニケーション」 とか 「スピーチと自己表現」 というような科目がある。
 アメリカは文化的背景のかなり違う人々が集まって社会を形成しているので、 相互に自分の意思をきちんと相手に伝え、 また、 相手の言い分を正確に理解し、 そのうえで見解の相違をどう調整するかということが重視されているようだ。 大統領戦でもテレビ討論でどちらが論戦を制したかでかなり支持率が変わる。
 これに比べると、 日本人は総体として理を尽くした議論が苦手だ。 政治家も、 一方的演説は巧みでも、 論戦になるとどうもさまにならない。 小泉首相も当初は雄弁に語っていたようだが、 最近の党首討論では相手をはぐらかし、 論戦自体を避けている印象が強い。
 その中でも、 とくに山梨の人はきちんとした議論が下手な気がする。 狭い地域社会では筋道を通して話し合うよりは、 旧来の慣行踏襲や古くからの人間関係のなかで、 なんとなく事が決まるのが当たり前だったためかも知れない。 まともに理屈を言うと、 社会の秩序を乱す変わり者として浮いてしまうこともあったろう。
 最近の県政の重要課題の進め方を見ていると、 いかにも論議の仕方が下手だと感じる。
 高校入試制度改革の論議をしていた第10次県高校入学者選抜制度審議会が3月14日に、 普通科は全県1学区という結論を出した。 総合選抜制も廃止の方向に向かうようだ。 県教育行政当局者にとっては予期していた結論に落ち着いたというところだろう。
 しかし、 37年間維持してきた小学区総合選抜制廃止という大転換に当たって、 本当に議論は尽くされたのだろうか。 中学区制と全県1学区の論議が並行して、 溝は深まる一方だったとも報じられている。 それが一転してこの結論に至った議論の内容がどうもよく分からない。 それぞれに主張の根拠は分かるような気がするし、 私自身もどちらが正しいのか判断できないでいる。 この審議会の内部で議論するだけでなく、 県内外の識者に意見を求めるなどの方法は不要だったのだろうか。
 3月17日には、 北杜市明野町に予定された県の廃棄物最終処分場計画を協議してきた峡北地区最終処分場整備検討委員会が県や関係市町が事務レベルでまとめた適地基準案を賛成多数で了承した。
  「賛成多数」 とはいうものの、 該当地区代表の立場にある篠原真清市議が反対するのを押し切る形での決定だけに、 県と明野住民との対立が再燃する可能性は高い。
 この問題は10年にわたって対立が続いてきて、 ようやく合併直前に明野村から県知事に出された安全な処分場造りへの提案をベースに、 落着点を模索する動きが進んでいただけに、 地元を無視したこの結論の出し方は残念というほかない。 これだけもつれた明野地区で再び住民が計画に反対ということになれば、 計画は頓挫し、 県内のどこでもこの種の施設は造れないことになる。
 もともと廃棄物処分場はかなり危険な施設だ。 東京都杉並区に造られた不燃ごみの中継所は、 ごみを圧縮してコンテナに詰め、 大型車に積み替えるだけで焼却はしないから安全とされていたが、 操業開始と共に周辺住民に化学物質による健康被害が出ている。
 それだけに適地選択の基準や施設運用の基準については地域住民に対してデータを全て明らかにし、 説明責任を尽くして不安を取り除くことが第一にすべきことだろう。
 この検討委員会は、 北杜市、 韮崎市、 小淵沢町の3自治体から、 首長、 議員、 識者が各1人出ているが、 メンバーを見ると、 産廃問題に多少ともに詳しいのは篠原市議だけで、 専門知識をもつ方はいない。 県は事務局案を素人集団に示して、 それを押し通した形だ。 結論が初めにあって、 検討は形を整えるだけのポーズだったと見るしかない。
 聞くところによると、 施設を建設する立場の環境整備事業団関係者でさえ、 この進め方には困惑しているという。
 本当に、 この県は大丈夫なのだろうか。



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