4月22日付
社会悪

反社会的行為にどう立ち向かうか

警備強化より善意あふれる社会
脱税と談合こそ、社会蝕む重罪


  「社会悪」 がはびこっている。眼(め)に見えるものと、潜行しているが見落としてはならぬものがある。眼に見える最大のものは弱き者に対する暴力である。女性が安易に惨殺され、登下校途中の児童が襲われ校内に銃刀類を持った男が乱入する。車両通行止めのアーケード街にトラックが突っ込むなど本来考えられないことが頻発している。
 稀有(けう)なことだからニュースに取り上げられ話題になるのだろうが、警備員に守られなければ安心して授業ができないような事態は異常だ。平和で調和の取れた豊かな社会が突然破壊されるのだからたまらない。
 こうした無法者に対して防御を固め安心して生活できるような環境を整えることは急務であるが、だからと言ってどんどん警備を強化すればよいというものでもない。また警備員を配置しなければ学校側の手落ちだというような風潮になっても困る。
 近年、急速に治安が悪化してきた原因は果たして何なのだろうか。外国人のせいにばかりもしていられない。物質的豊かさに社会全体が浮かれている間に、人の心の問題がなおざりにされ、その咎(とが)が積もって社会の病巣となってしまったのではないか。現象面に対して、もぐら叩きの対症療法だけをしていても問題は解決しそうに思えない。
 われわれの社会は性善説、すなわち 「人々はみな善意に満ちあふれている」 ということを前提にして成り立っていることを思い出したい。人々がみんな善意を持って仲良く助け合って暮らしていくことを大前提に、必要最小限のルールを定めて社会は成り立っている。戦争など特殊な状態でない限り、善意に満ちあふれている社会である。だから予想もしない 「悪意」 に対してはあえなく弱さを露呈してしまう。善意を前提として成り立っている社会の脆(もろ)さであり宿命であろう。
 逆に 「悪意」 を前提にした社会を考えたらどういうことになるのだろうか。テロ対策とはいえ、飛行場で靴まで脱がされ、入国手続きに際しては指紋まで取られる警備体制は異常である。善意の旅行者にとっては耐えがたい屈辱である。前世紀の人が見たらおそらく漫画に映るだろう。犯罪を未然に防ぐための当座の措置として必要なことはわからぬでもないが、一体いつまでこのような状態を続けるのだろうか。
 防御一辺倒の体制には出口がない。悪意を前提にする限り、止めどもなくはびこる悪意に対して、防御体制は際限なく拡大せざるを得ず、世の中は限りなく疑心暗鬼になる。「疑心」 は 「監視」 を呼び 「監視」 はさらに 「疑心」 を呼んで社会全体が内向きに走り出す。過度に警備された社会をわれわれは望まないが、ひとたびこの流れが起きると、もはや勢いは止めようもなく社会は一挙に衰退へと向かう。したがってわれわれはこの道は採れない。当面、苦しくとも 「善意」 を前提にして社会を考え直さなければならない。その上で一部の反社会的行為を未然に防ぎ、被害を最小限に抑える工夫と努力を行うことが必要である。
 われわれが今為(な)さなければならないことは、世の中に善意があふれるようにすることである。たとえ心の隙(すき)に一瞬、悪意が芽生えることがあっても、直ちに打ち消すことができるような強く優しい心を醸成することではないか。
 多様な価値観のもとでは、戦前のような一律の道徳教育で、ことが足りるほど簡単ではないが、人の世の善悪をはっきりとさせ、悪意の芽をいち早く摘みとり、社会に善意がもっともっとあふれるようにすることが急務である。
 そのためにわれわれはどのように取り組まなければいけないのか議論しなければならない。迂遠(うえん)なようであるが、根本から解決するにはここまで立ち戻らねばならないと思う。家庭・学校・社会のそれぞれの場において、社会の善と悪について、人間社会の約束事について、人間とは、生きるとは、人の一生とは、社会とは、など一人の人間が生きていく上で最も基本的なことについて、しっかりと教え込まなければならない。人生の先輩としての親・教師・先輩の務めである。教育制度がたとえどうあろうともそれ以前の問題ではないか。
 警備をさらに強化し、法律で罰則を強化しても、社会の病巣を取り除くうえでは非力である。深い人間愛に基づく暖かい愛情をもって社会を包みこむことが問題解決の上で不可欠のように思えるのだが。
 もうひとつ眼には見えないが社会を蝕(むしば)んでいる悪に脱税と談合がある。これらは凶悪犯罪と何ら変わることなき第一級の反社会的行為である。たとえどんな事情や経緯があろうとも許されるものではない。
 目立たぬように用意周到に継続して一般市民を欺き、社会の根幹を揺るがす反社会的行為は重罪だ。当事者達には果たしてその認識があるのだろうか。この認識がないからこそ、また自分勝手な言い訳が通用すると思っているからこそ、まかり通っているのだろうがいつまで続けるつもりなのだろうか。「早く悪の淵(ふち)から抜け出す決断をしなければ悔いを千載に残すことになりますよ」 と言いたい。
 こんなことに絞る知恵やエネルギーを、コスト削減や売上拡大・技術開発など本来の課題に振り向けたらよい成果が生まれるであろうに。嘘(うそ)偽りのない確定申告・談合なき入札がどんなに心が晴れ晴れするものなのか想像してみてほしい。



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