5月20日付
まちづくり

暮らしを楽しみ、暮らしを深める

伊勢おはらい町 「五十鈴塾」 の試み
薄っぺらなイベントにピリオドを


 増穂町に 「六斎」 というギャラリーがある。ここは、春鶯囀 (しゅんのうてん) の蔵元・萬屋 (よろずや) 醸造店の中込紀子さんが酒蔵を改装して開いたものである。布・染・彫・絵それに演奏会、講演会などが催される。企画がすばらしく、いつも楽しみにしている。
 4月23日には 「旧暦と暮らす」 をテーマに、郷土の俳人三森鉄治さんが 「歳時記の愉 (たの) しみ」と題して講演されると聞いて楽しみにしていたが、急に所用ができてしまい残念なことをしてしまった。
 3カ月ほど前、伊勢市で 「地方シンクタンク協議会の研究会」 が開かれた。会が終わって、伊勢神宮を参拝し、「おはらい町」 を案内していただいた。まだ寒い時期だったが、江戸の町並みを再現した 「おはらい町」は意外と観光客で賑わっていた。
 伊勢には明治のはじめごろまで「御師(おんし)団」 という組織があって全国から伊勢講の客を呼び込み大変賑わっていたようである。当時は富士山信仰も盛んで、今でも富士吉田市を中心に40軒ほどの「御師(おし)団」 が残っているが、残念ながら富士吉田市には往時の賑わいはない。本町通りはシャッター通りと化してしまっている。
 そんなことを考えながら 「赤福」 の前を通り過ぎたところで立派な会場に案内された。本格的な茶室を持った 「左王舎」、事務棟としての 「中王舎」、そして 「右王舎」 という3棟の建物である。これは、「赤福」 の浜田ゆき女史が米寿の記念にと財団法人伊勢文化会議所に寄贈したものだそうである。浜田さんは、日本固有の文化が失われていくさまを深く憂い 「何とかしたい」 と強く望まれていたことから、その意を受けて地元有志が知恵を出し合い、練り上げたものが 「塾」 の設立であった。
 そして、2002年9月 「五十鈴塾」 がスタートした。運営は 「NPO法人五十鈴塾」 が進め、日本の季節の移ろいや年中行事、歳時記などを中心に日本文化の心に触れていただくことを趣旨に、幅広い講座や企画がほぼ毎日開かれている。
 例えば、歌人岡野弘彦氏による 「万葉明日香への旅」、茶人浅沼宗博氏の 「日常に生かされる茶の湯」、高潤生さんの 「漢字の旅」、若尾食品社長による 「伊勢のたくあんの歴史」 などである。
 パンフレットには 「ちょっと心のおしゃれをして自分流の時間をすごしてみませんか。五十鈴塾は日本の暮らしにある心地よさを体験していただき“かけがえのないもの”を見つけていただくお手伝いをしたいと願っております」とある。
  「暮らしを楽しむ」 「暮らしを伝える」「暮らしを深める」「暮らしを演出する」「暮らしを創る」 など好きな講座を見つけて、地元の人も観光客も楽しめる企画である。 
 さて、席に着くと講座が始まった。まず五十鈴塾長の矢野健一氏による 「伊勢神宮式年遷宮と伝統技術の伝承」 という話である。矢野氏は元伊勢神宮の広報室長で、伝統文化を守り技術を伝えていく厳しさなど遷宮の裏話をしていただいた。なるほどとうなずいていると、続いて、紀伊長島町の教育長である小倉肇氏による 「伊勢から熊野へ−聖地を結ぶ巡礼の道」 の話となった。熊野古道は昨年世界遺産に登録され訪れる人も増えているという。成熟社会を迎えた今、人々は何を求め、何に感動するのだろうか。日本の象徴である富士山は世界遺産候補にさえ登録されていない。
 中国の古典 「易経」 に観光とは 「国の光を観ること」とある。これまで、まちづくりも観光地づくりもあまりに即効を期待しすぎたのではないか。薄っぺらなイベントばかり打ち続けた結果、一過性のものになってしまっているのではないか。
  「五十鈴塾」 の取り組みは始まったばかりである。すぐに効果など出てくるはずがない。しかし、5年、10年と続け、伊勢の人々の日常の楽しみが観光客の楽しみとなったとき、「おはらい町」 は聖地として、観光のまちとしてひときわ魅力を放つことになるのではないか。



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