5月27日付
情報公開の経済学

由らしむべし、“知らしむべし”

行政が信頼されればコストも低減
公開度41位の山梨に欠ける透明性


 一分一秒を急ぐ朝、狭い道から渋滞の本通りに出られないで困っている通勤マイカーがいる。これに 「お先にどうぞ」 と道を譲ってやる。この親切?に応えて、ドライバーは、ハザードランプを1、2度点滅させる。ウインカーをこういう手段に使うのは道路交通法には違反するかもしれないが、世の平和には随分と貢献している。
 こういう利他的行為と謝意の表現を 「互酬」 という。突然の夕立に雨傘を所望され、貸すべき傘のない少女が 「山吹の花」 を差し出した故事は、古今最も美しい 「互酬」 劇の一つであった。
 親密な 「互酬」 の慣習は、消えつつあるとは言いながら、過疎の集落などではいまだ生きているかも知れない。だが、その外側ではこういう習俗はもうないのではないか。
 伝統的なコミュニティー内で、知っている人に対する 「厚い信頼」 は当然だが、その外部の他人に対する 「薄い信頼」 関係が、現代では極めて重要になっている。そこでは、親愛の眼差 (まなざ) しや何気ない会釈なども、「薄い信頼」 を作り出す有力な方法となる。上述のウインカーは、その好個の一例である。
 アメリカの政治学者ロバート・パットナムは、この知らない人との 「互酬」 や 「薄い信頼」 をソーシャル・キャピタル(人々の協調行動を促す社会的・経済的・文化的資源) の重要な一要素として定義している。
 ここでいう 「ソーシャル・キャピタル」とは、決して講壇的倫理学が教える道徳的徳目のことではない。この 「薄い信頼」 の醸成されている地域では、めぐりめぐって経済的な利益すら享受できるとパットナムは言う。
 狂牛病 (BSE) を例にとって見てみよう。2001年9月10日、千葉県で罹患 (りかん) 牛が発見された当初、国内で大パニックが発生した。政府は沈静化に奔走するものの、消費者は納得しない。スーパーの食肉売り場から牛肉は完全に姿を消した。時の農水大臣や厚労大臣がTVカメラの前で牛肉を食べて、その安全性を誇って見せたものの、民衆の信頼は全く得られなかった。結局、莫大な資金を使ってBSEの全頭検査システムを整備し、それに信頼感が寄せられるようになって初めて国産牛肉の消費は復活していった。
 しかし、日頃から政府に対する国民の信頼が厚ければ、BSE問題のコストは、二人の大臣がTVカメラの前で食べた牛肉代金だけで済んだかも知れない。つまり、ソーシャル・キャピタルは、このような民衆の猜疑心 (さいぎしん) を打ち消すための手立てを必要としないことによって、社会的コストを低減させる役割を果たす。
 今再び米国産牛肉の輸入再開をめぐって、生後20カ月以下の若い牛について全頭検査の不要性がアメリカ政府から突きつけられている。この場合、目の前の牛肉が本当に20カ月以下の若い牛のものであったことの信頼が揺らぐ事態になれば、せっかくのシステムは崩壊する。そして再び莫大な資金が必要となるであろう。つまり、信頼とは、かくのごとく経済的な効率の謂 (いわれ) なのである。
 全国市民オンブズマン連絡会議の発表によれば、04年度山梨県の情報公開度は100点満点中33.5点で、全国46道府県 (東京都が失格した為に1団体少なかった) 中41位だったそうだ。残念ながら山梨県は、県民に 「薄い信頼」 感すらも醸成したいと考えてはいないらしい。これでは、地域行政の執行に係る不経済は決して少なくならないであろう。
 その典型的な例が、産業廃棄物最終処分場問題だった。ここに埋め立てられる廃棄物が安全で、時間の経過と共にますます安全度が増すというのであれば、事は紛糾しなかったはずだ。それは、山梨県の伝統的環境政策が人々の強い支持と深い信頼を得ていたときにはじめて可能だったのである。
 今後とも、地域にとって公共関与の産業廃棄物処分場は必須の施設である。その建設適地の選定は言うに及ばず、そこへの埋め立ての運用規則と結果の公表は絶対条件である。情報公開にいささかでも猜疑が生まれるようであれば、問題はますます晦渋 (かいじゅう) を極めることになる。
 県民が、地方政府を信頼すればするほど行政コストは低減する。その意味で、情報公開は優れて行財政改革なのである。今や、「由らしむべし、知らしむべからず」 は、「由らしむべし、知らしむべし」 と言い変えられなければならない。このことを、行政の責任者は肝に銘じてもらいたい。



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