6月17日付
NEET対策

中心街に 「世間」 教える寺小屋を

子供が居場所探せるサポーターに
好奇心を刺激し、夢を持たせる


 今から30年以上も昔になりますが、 高校3年の時、 将来は動物学者か医者になりたいと真剣に考えていました。 それが大学では法学部に入り、 さらに日銀に就職。 何ともいい加減な話です。 気持ちが転々とした事情をお話すると長くなりますが、 自らの意識の根底に、 社会に出て行くことへの恐れ、 言い換えれば、 “自分はやっていけるのだろうか”という不安があり、“社会を知らない”ことがその不安を必要以上に増幅していた気がします。
 戦後のわが国では、 「家業」 を継ぐ人が減り、 その一方で、 企業に勤めるサラリーマンが増えました。 それに伴い、 核家族化も進展しました。 その結果、 多くの子供達は親の仕事に縛られず、 自由に仕事を選択できるようになりました。
 ただ、 サラリーマンは一代限りですから子供に継げるものもないとなると、 教育熱心な国民性に拍車がかかります。 日本が豊かになったことも手伝って、 子供達はひたすら勉強。 受験 (=偏差値) 一本槍 (やり) の価値観を強いられることになります。 テレビゲームや携帯・インターネットの交信に癒やしを求めているかなという気がします。
 そのような状態では、 社会 (世の中) のことをろくに知らないのが当然で、 いざ就職という時になって急に 「お前の好きにしろ」 と言われるのは辛 (つら) いことだろうなと思います。 仕方なく偏差値で測るようにして仕事を探す人も出てきます。 採用を担当していた時に 「日銀は偏差値が高そうだから」 と言った学生に唖然 (あぜん) としたことがあります。
 もちろん、 自らの職業を自由に選べるということは素晴らしいことです。 大方の国々では、 それどころではなく、 まず食べていくためにできることなら何でもやるという状態です。 また、 家業を継ぐというのも、 そう簡単なことではありません。 その意味では、 贅沢 (ぜいたく) な悩みですが、 わが国にとっては、NEET(ニート・無業者)など新たな深刻な問題になりつつあります。
 それでは、 どうすればいいのか。 ひたすら子供の自立 (あるいは反乱?) を待つという手もありますが、 われわれ社会人が働きかけることもあるのではないでしょうか。 例えば、 昔の大家族や近所のおじさん、 おばさんが果たしていた“世間”という役割です。 今のわが国では、 そこがポッカリ抜けている気がします。
 先日、 テレビでアメリカの職業テーマパークを紹介していました。 そこでは、 子供達が消防士、 医者、 警察官、 美容師などさまざまな職業の中から自分の興味のあるものを選び、 体験し、 賃金もパーク内で使える通貨で払われます。 なかなか面白そうでしたが、 テーマパークという大袈裟 (おおげさ) なものでなくても、 いわゆる教育者以外のわれわれにも“世間”は補完できると思います。
 高校時代の自分は、 社会を知らない故に、 社会を抽象的な塊として捉 (とら) えていたように思います (その後の30年間で、 世の中は、 “要は人と人との信頼関係”ということが分かりましたが)。 仕事の辛さ・面白さ、 人としての悩み・誇り、 社会の課題・夢など子供達の好奇心を刺激し、 彼らの理解を深めさせられるテーマは一杯あると思います。 子供達が自らの居場所を探すためのサポーターになりませんか。
 さて、 そこで、 具体的にはどうするのか。 われわれが学校に行って話すという方法もありますが、 中心街に子供達を集めてしまうという手もあります。“寺子屋”があれば、 それは重要なステーションになり得ます。 私設の図書館や喫茶店、 養老特区でもいい。 広い意味での教育と福祉がコンセプトである街が一つくらいこの国にあってもいいのではないですか。
 最初は嫌々でも必ずリピーターは現れます。 やりたいことがみつかり、 夢が持てれば、 勉強にも力が入るし、 努力とか勤勉という言葉も生きてきます。
 そして、 先生は皆さんです。 成功した偉い人の話もいいですが、 たくさんの人が、 それぞれの人生、 生き甲斐、 そして楽しみや喜びを教えてください。 皆さんの心の中にもきっと若い人達に伝えたい何かがあると思います。



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