7月22日付
「効率化」

命運握る「人」の活用

給与を超える仕事与える
組織あげて知恵出し合う


 先日、親しいお医者さんと“病院がハンバーガー・ショップになっていいのか”という話題で盛り上がりました。彼の勤める病院でも、コスト低減を狙って診療のマニュアル化が進んでいるようですが、それについて、彼は「患者の状況により投薬や処置は違ってくる。マニュアルでは個々のケースに的確に対応しきれない。また、医者は、様々なケースに対応できるよう自らのレベルを上げる努力をすべきなのに、マニュアルを守ればいいとの意識から質が落ちている」と指摘。
 さらに「医療の世界でも、定型的な“ハンバーガー・ショップ型”は必要だが、場合によって顧客の状況に応じた“料亭型”も必要ではないか。そもそも力を尽くして患者を救ったという充実感がなかったら、医者なんかやっていられない」という主張でした。彼の意見に賛成です。
 この10年間、わが国を 『効率化』の嵐が吹き荒れました。それほど厳しい経済状態であったということですが、もう十分ではないでしょうか。“コスト意識”は世の中に浸透し定着しつつあると思います。
 「まだまだ」と言う方々もおられると思いますし、確かに未 (いま) だという分野はあります。でも、効率化は経営の基本であり、わざわざ言うまでもないほど当然のことです。そろそろ“常に心がける”といった平時モードに移行してもいい時期ではないかと思います。
 あえてこのように申し上げるのは、効率化の急速な推進により、大切なものが壊れ始めている気がするからです。それは、“人の気持ち”です。「仕事への情熱」と言ってもいいかもしれません。
 経営危機に一丸となって取り組む局面では、効率化も求心力になりますが、それが10年近くも続き、さらに仕事自体がマニュアルなどで単純・定型化されてくると、大方の従業員は自分が大切にされているとは思えなくなり、仕事への情熱も萎 (しぼ) んでしまいます。その結果、“利己的な個人主義 (人のことなど知るものか)”が蔓延 (まんえん) しつつあるのではないかという気がしています。
 こうした状況が続くと、組織としては経営効率がむしろ低下し、さらに共同体的な意識の希薄化から、社会が不安定化するのではないでしょうか。
 こうした状況で、改めて 『効率化』 とは何かを考えてみると、給与を下げるのではなく、給与を超える仕事をしてもらうということではないかと思います。自分を振り返っても、給与が同じでも、やる気の有無で仕事の出来に天と地ほどの差がありました。
 給与を多少下げたところで所詮 (しょせん)、中国などの低賃金にはかないませんし、誰も昭和30年代に戻ることを望んではいないと思います。むしろ、次のステップへの進化が大切です。
 例えば、商売に関しては、量から質へのシフトが加速していますし、“安アパートに住んでポルシェに乗る”といった行動様式も広がっています。団塊の世代がどう動くかも興味津々です。どのような切り口から攻めるのか、斬新なアイデアも必要なら、過去の経験を活かす必要もあります (例えば、柔軟さ、きめ細かさ、誠実さ、は昨今の大きなセールスポイントですが、それをどういう形で表現するのか)。
 変化する時代には、トップの知恵にも限界があります。組織を上げての知恵の出し合いです。となれば、最も大切な財産は「人」。これからは、人をどれだけ大事に活かすかがその組織の命運を分けていくように思います。
 山梨の場合、大消費地東京がすぐ隣にあるという絶好の立地条件に、山梨の人や自然の潜在能力を活かせば十分チャンスがあると思います。
 さらに欲を言えば、山梨は幸せに住める県であるはずです。その実現のために、官民、地域間、企業間などの垣根を越えて、人が活きる 『本当の効率化』 を進め、暮らしてみたい国ナンバーワンを目指しませんか。



掲載の記事・写真の無断掲載を禁じます。ホームページの著作権は山梨新報社に帰属します。