7月29日付
桜座復活

さあ、シャッターを上げよう

“甲州商人魂”復活のチャンスに
固定観念捨て商店街の底力見せよ


 先日10年ぶりに甲府を訪れた友人の第一声は「甲府は寂 (さび) れたね…」であった。人口減少社会を目前にして全国の地方都市すべてが悩み苦しんでいる。2006年をピークに向こう20年間に人口は1200万人減少する。これは東京の人口が消えてしまうということである。その影響は東京ではなく地方都市を直撃することになるだろう。商店のシャッターは次々と降ろされ、空きビルだらけになるのではないだろうか。
 もう7、8年ほど前になるだろうか。元国土庁の事務次官で国土計画づくりの最高責任者であり、総合研究開発機構 (NIRA) の理事長でもあった下河辺淳さんと懇談する機会があった。下河辺さんは前衛舞踏家田中泯さんの隠れた応援団で、毎年「白州夏フェスティバル」にこっそりお来しになっていた。
 「デフレ経済が長引き山梨の景気も沈みがちです…、経営者も弱音を吐きだしました…」と申し上げたところ、「早川さん、近江商人・伊勢商人・甲州商人がだめになるようなら、日本の国はお終 (しま) いだよ…」と一笑に付されてしまったことを思い出す。
 その田中泯さんの応援で、6月25日「桜座」が復活した。桜座は1876年に建てられ、歌舞伎、芝居、演劇などで人気を集めた芝居小屋である。75年ぶりに復活した桜座の柿 (こけら) 落としには東京芸大教授の木幡和枝さんなど県内外から400人ほどの観客が集まった。
 ガラス店の倉庫を改造した小屋は、骨と皮ばかりとなり、鉄骨にコンクリートを吹き付け、床はバラス (線路などに敷く砂利) を敷き詰めただけ、舞台らしい舞台もなければ音響もなく、生の声と音の真剣勝負の場となっていた。気温34度という猛暑、クーラーもない。小さな窓から西日が差し込み熱気は最高潮に達した。
 そんな中で能笛が響き、チンドンの懐かしい音色、汗がほとばしる舞踏、トークなどが次々と3時間半に渡って繰り広げられた。
 宗教学者の中沢新一さんは「アバンギャルド」という言葉を引用して「芸術分野では既成の通念を否定し、未知の表現領域を開拓しようとする芸術運動のことをアバンギャルドという。甲州には、最先端を行く風土があるが、それはただ最先端を行くというだけではない、数千年の過去と現在を結びつけた前衛を生み出す力である」と語った。
 この小屋は、毎週土曜・日曜はプロの表現者の舞台となる。きょう29日には、バリの影絵芝居「アルジュナの饗宴」が、8月5日にはプラハの「ヒップホップミュージック」のライブ公演が予定されている。また、ウイークデーはアマチュアの発表の場として貸し出されるという。
 さて、明治・大正・昭和にかけての桜座の周りは、仲見世があり、ラーメン屋があり、○○横丁があってまさに庶民の街として賑 (にぎ) わっていた。桜座復活は単なる芝居小屋の復活ではない。もう一度賑わいを取り戻そうとする有志によるまちづくりへの挑戦であり、社会実験である。
 この動きを後押しするように、空洞化した甲府の中心にマンションが建ち始め、人が戻りはじめている。国の都市計画も人々が快適に過ごせる都市機能を徒歩圏内にコンパクトに集約していく「コンパクトシティー」づくりへと動き出している。中心市街地にとってはフォローの風が吹き始めている。桜町商店街にとっては賑わいづくりのチャンス到来である。
 横浜ではオープンカフェの実験が始まり、青森の八戸では寂れた町を「屋台村」として復活させている。
 既存の「うちは○○屋だ」といった固定観念やしがらみをぬぎ捨て、まず桜座が開いているときは、商店街のシャッターをみんな上げよう。せめてウインドーショッピングだけでも楽しめるまちづくりから始めよう。下河辺さんの言葉のとおり、桜座復活は「甲州商人魂」復活のチャンスであり、「桜町商店街の底力」の見せ所ではないか。



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