8月5日付
山梨の近未来

どこまで沈み続けるのか?

人口減、脆弱な産業など課題山積
試される首長、行政の識見・力量


 ギリシャ神話の創造神プロメテウスは、人間を創 (つく) ったとき、あらゆる能力を授けた。ただし、未来を見る能力だけは除いておいた。これは、人が己の将来を見て絶望し、生きることを放棄してしまうことを恐れたためだそうだ。このために、私たちには過去は見えても未来は見えない。が、お陰さま 「知らぬが仏」 で、将来を絶望しないで生きられるようにもなった。
 そんなプロメテウスの創造物の末席にいながら未来を語るのは不遜というものだが、そこはプロメテウスに貰 (もら) った知恵の成果として、数学が使える。そこでこれを使って、山梨県の近未来を探ってみよう。すると、本地域が激しく沈下しているのは地価だけではないことが見えてくる。
 まず、県人口を見てみよう。1982年の中央道全通を機に急激に回復した県内人口だったが、全国より一足早く5年前にはピークを打ち、すでに長い減少期に入っている。このまま何もしなければ、10年以内にさらに5%程度減少するものと思われる。人口政策を採るのか、採らないのか、県政が論ずべき喫緊の課題だ。基準財政需要額の算定に人口が大きく寄与するので、人口減は地方行財政に深刻な影響を与える。加えて楽観的人口予測を基にして作ってある自治体の各種長期計画などは、数値的な面のみならず、施策内容にも関わって根本的な見直しが迫られているはずだ。
 山梨の県内総生産を支えてきたのは、第1位の製造業と第2位のサービス業であり、両者合わせて50%の占有率を誇る。製造業の栄枯盛衰は、本県の経済を直撃する。90年代末まで順調に成長を続け、2兆6000億円規模まで拡大した製造品出荷額も、今では2兆円レベルにまで減少の一途をたどっている。アジア経済の動向にもよるが、5年後には2兆円を割る事態もあり得る。これは、世界の生産拠点が東アジア地域に移転したという世界史的な流れの中に本県工業も直面しているからだ。
 第2次産業の衰退は、やがて雇用問題にも波及する。それは更に、人口減を誘発し、悪循環の経路を経て、地域経済全体の衰弱を招く。山梨県の製造業は、地場産業を除けば、そのほとんどが企業誘致によって始まったもので、そもそも内発的ではなかった。それだけに、海外展開がブームとなると、進出企業は簡単に撤退する。浜松から三河にかけての三遠南信地域の自動車産業のように、その地域で生まれ育った土着の技術と比べたとき、その脆弱 (ぜいじゃく) 性は目を覆うばかりである。やはり、世界大の競争時代には、開発から生産まで、地域に根ざした技術の蓄積が必要なのである。
 筆者は、2004年6月18日付け本欄に 「山梨発 『エネルギー革命』」 と題して、燃料電池と水素エネルギー利用技術を、次世代の地域産業とすることを提案した。今日まで一顧だにされなかったが、間違いなく今世紀最大の技術テーマになるはずだ。
 山梨県が工業化する以前の主要産業であった農業を見てみよう。70年代末には1300億円規模まで拡大していた山梨県農業だったが、後継者の激減によって、現在では1000億円を割り、県内総生産の0.2%の寄与しかない。
 農業は、もはや山梨県経済の担い手ではない。そのことを認識した上で、それでも環境、水利、景観、観光など、その役割の変更を確認した上で、なお振興策を講ずる必要がある。
 しかし、農業振興策は今までもそれこそ無数に論じられ、それに合わせて巨額の公共投資を図ってきた。それなのに一向に事態は改善されない。これは、問題を政治的に捉 (とら) えるばかりで、ミクロに生じている革新的な活動に目配りしなかったためだ。県内には先進的な農業に活路を開いている農業者が数は少ないが確実に増えている。次代の地域農業の担い手は彼らである。主人公の交代を図るべきだ。
 以上を要するに、山梨県の近未来は仄暗 (ほのぐら) い。この暗さが、後で見たら、夕暮れの暗さだったというのか、夜明け前のそれだったとなるのかは、行政と自治体首長ら指導層の識見と力量による。
 それにも拘 (かかわ) らず、どこの町に後援会組織ができたの、できないのと、生臭い報道を見聞きしていると、彼らの関心は 「将来」 にではなく、次の 「選挙」 にしかないのだと断ぜざるを得ない。
  「政治家は未来を考え、政治屋は次の選挙を心配する」 というから、それも無理はないのだが。



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