10月7日付
引き算の視点

財政需要に国民の意識改革を

不要な社会資本をスクラップ
負担と受益の関係を明確化


  「税金」 はいつごろこの世に生まれたのだろうか。大英博物館に紀元前2世紀ごろの古代国家プトレマイオス王朝時代の 「ロゼッタ・ストーン」 という石が展示されている。この石は古代の文字を解き明かす上で大変重要な石であるといわれているが、そこには3種類の言葉で当時の徴税方法が刻まれている。税金という概念は意外に古く、ほとんど文字の発生と同時に生まれたのではないかと思われる。
 さて、国税は国が国民に負担させる税であり、地方税は地域住民が負担し合う、いわば会費のようなものだが、あなたにとって税金は 「納めるもの」 というイメージだろうか、それとも 「取られるもの」 というイメージだろうか。
 6月21日、首相の諮問機関である政府税制調査会は、個人所得課税の見直しに関する報告書 (論点整理) を発表した。石弘光会長はテレビの記者会見で 「高齢化社会の進行とともに年金、介護、医療費は増えるばかりである。このまま行けば財政は破綻 (はたん) する。就業人口の8割を占めるサラリーマンへの課税強化なくして少子高齢化社会を乗り切ることはできない」 と述べている。選挙も終わって、いよいよ消費税、所得税、相続税などの課税強化が現実化してきそうである。
 確かに、わが国の財政状況は火の車である。2003年の国の予算は、一般会計の歳出が81.8兆円、そのうち税収でまかなえたのは41.8兆円 (51%) である。バブル経済崩壊後、この10年間だけでも景気浮揚のため公共事業費として60兆円、減税として17兆円という巨額の財政出動を行ってきたが景気は期待通りに浮上せず、そのツケが現れてきたといえよう。
 05年はさらに税収比率が低下しているといわれ、5割の借金をしないとやりくりがつかない状況がまだまだ続きそうである。
 ちなみに各国の予算に対する税収比率を見ると、フランス109%、イギリス99%、アメリカ91%と健全である。財政破綻が騒がれたイタリアでさえ86%であり、日本は最悪である。
 国・地方の長期債務の累計額は、05年3月末現在の781兆円、これに特殊法人などへの政府保証債務などを合計すると1000兆円を超えている。本来、財政は税収でまかなうべきであり、このような状態をいつまでも続けられるわけがない。
 しかも、近づく高齢化社会は、年金・介護・医療など社会保障給付の増加から財政需要をさらに膨張させるだろう。橋梁 (きょうりょう)、道路・ダムなど社会基盤のメンテナンスへの不安もでてこよう。仮に、景気が浮揚したとしても高度成長期のような成長は考えられず、2%程度の経済成長では税収はさほど上がらない。
  「あれも欲しい、これも欲しい、もっと便利に、もっと豊かに」 と競って文化ホールを建設し、温泉を掘り、道路を、トンネルをと物質的な豊かさを追い求めてきたが、国民の生活基盤を一律に底上げする時代は終わったのではないか。むしろ、いかにして必要性の少ない社会資本をスクラップするかなど、引き算の視点が加えられなければならない。
 そう考えるとお先真っ暗のようだが、国家財政も企業や家計のやり繰りも基本的には同じであり、信用さえあれば借金はあわてて返す必要はない。利子だけ払っていればとりあえず安泰である。
 しかし、できるだけ早い段階で財政需要を税収でまかなえる状態 (プライマリーバランス均衡) にもって行かなければならない。
 その場合、単に緊縮型にすればよいというわけには行かない。経済を失速させないようにマクロ経済政策とのバランスをとり国民生活の安定を図りながら進めなければならないところに難しさがある。
 そのためには国民の意識改革が必要である。まず、負担と受益の関係をより明確にしなければならない。その上で、お上への依存体質が残っている国民一人ひとりに、もっと情報を開示し協力を求めるべきである。
 例えば、徴税方法にしても、ただ課税強化をするのではなく、ビンやカン、ペットボトル、家電などについては販売時に課税し、使用後、持ってきたら税金の一部を戻してやる。つまり、国民一人ひとりの小さな時間や小さな労働力を引き出し、回収コストをかけない仕組みづくりが必要である。
 現場の発想でできるだけ税を使わないアイデアを募集するとか、地域通貨などを取り入れた自助・互助・共助の相互信頼社会づくりを進めるなど、これまでとは一味違った知恵を出し合うときではないか。



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