10月14日付
三位一体

ふるさとが大変だ

地方分権に逆行する国家行政
借金体質にあえぐ県内市町村


 「兎 (うさぎ) 追いしあの山、小鮒 (こぶな) つりしかの川」 と唄われた 「ふるさと」。そのなつかしいふるさとが、いま有史以来最大の危機に直面している。
 平成の大合併に 「成功?」 して、何とか当面の危機を脱した町村を除き、何も変化の無かった町村は深刻だ。これらの自治体にとって、時代状況は極めて不安定で、サドンデスがいつ到来しても不思議ではない。
 また、よし合併に成功した自治体でも、取りあえず合併債という借金の予約と、国からの予算の 「貸し渋り」 が当面無くなったというだけであって、その有効期限10年 (それとても怪しいのだが) の後には、前者と何も異なるところは無い。なぜ、こんなことになってしまったのだろう。
  「三位一体」 という言葉が、新聞紙上をにぎわしている。もともと、キリスト教のいう 「神と子と精霊」 の三位一体が元祖だが、紙上を賑わしているのはこれではない。
 1996年施行の地方分権推進法を受けて 「第三の改革」 とまで言われた地方自治を確立するために、1. 国から地方自治体へ税源を移譲し、2. 地方自治体の自己決定権を強化するために国庫補助負担金を廃止し、3. これら1・2を通じて、地方交付税機能を強化し自治体間の財政力格差を是正していく、というのがそもそもの発想であった。時の総務大臣片山虎之助の発案で、我が国の地方自治史上画期的な提案であった。
 ところが、国の財政再建を優先する財務省や、ヘゲモニー (覇権) の低下を危惧 (きぐ) する霞ケ関各省庁、加えて国庫補助金の取得を通じて政治的存在感を発揮してきた国会議員らによる、陰に陽にする反対によって、事態は思わぬ方向に迷走しているのだ。
 税源の移譲に対しては、義務教育費国庫負担金のように、国から出しても、自治体が支出しても、どのみち裁量の余地のないものを、あえて提案してくる。あるいは、税源移譲より地方における課税自主権を発揮するよう督励される、という有様である。山梨県が、ミネラルウオーターに税金をかけるといって物議をかもしているのは、この課税自主権の督励に応える努力なのである。
 こうして、「三位一体」 の改革は、文字通り「羊頭」を「狗肉 (くにく)」にすり返えて、地方交付税の削減または廃止へと流れが急なのである。地方分権の、時代錯誤を通り越して逆行と言うべきである。
 近年の山梨県の実態を見てみよう。2000年度には、歳入に占める地方交付税交付金の比率は、県平均で28.04%であった。しかし、これが03年度には21.87%と6ポイントも低下している。これが、町村だけでみると33.36%から24.91%と8.5ポイントも落ちているのだ。
 そのかわり、県内自治体の借金財政化は深刻化し、歳入に占める地方債比率をみると、県全体で00年度に8.45%であったものが、03年度には13.65%と5ポイントも増加している。
 こういう借金体質によって、03年度決算で公債費比率15%以上の町村は56市町村中18にも上る。
 公債費比率とは、一般財源に占める借金返済額の比率のことで、家計に占めるローン返済と思えばよい。これが、20%を3年連続すると財政再建団体の烙印 (らくいん) を押されることになる。すでに25%に達する自治体が本県には存在する。
 このようになってきたのは、必ずしもこれら自治体や住民の責任ではない。そうではなくて、国家行政が 「三位一体」 の改革に逆行しているからに他ならない。
 山梨県のミネラルウオーター税ではないが、それでも税金を「開発」できる自治体はまだよい。その意味で、人口が多く、産業が発達している地域では、可能性が無くはない。だが、過疎化に高齢化の本県の町村に、おいそれと自主税源が得られるとは思えない。それだけに、シャウプ勧告によって実現した地方交付税制度(平衡交付金)は、優れた制度なのである。
 シャウプ勧告をなし崩しにしていったのは、国政政治家と官僚が結託して作り上げた補助金制度であり、これこそこの国の地方分権を破壊し、政治にモラルハザード (無責任) を招来し、莫大な財政赤字を作り上げた元凶なのだ。
  「志を果たして、いつの日にか帰らん」 と心に秘めていたなつかしい 「ふるさと」。それが、赤字債権団体に組み入れられて、「遠くにありて想 (おも) う」 だけの場所になる可能性が急激に高まっている。



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