11月4日付
「秋」

さあ“山梨文化”の発信を

経済は東京一極集中だが
自らを高める趣味の世界


 僕の大好きな『秋』が来ました。高い空を見上げるのもよし、これまた大好きな柿を食いながら読書に耽 (ふけ) るのもよし。読書と言えば、山梨新報も週一回の“山梨からの便り”です。自らの提言については本当に汗顔の至りで、“書いたら見ない”ことにしていますが、新報には、楽しみにしている紙面があります。それは、歌壇、俳壇、柳壇です。その方面に才能が無いことに加え、日々の仕事を言い訳にして、これまで、この世界に関しては見て見ぬ振りをしてきましたが、「しんぽう文芸欄」 で笑ったり、しんみりしたり、同感したり。
 それにしても、毎回、皆さん様々な気持ちを様々な形で表現されていますが、その広さと深さには感服します。投稿されている方々の大半は普通の人であると思います。
 文春新書に「日本文明77の鍵」(梅棹忠夫編著) という本があります。この本は、二十数年前に「外国人に日本文明を理解してもらうにはどうしたらいいのか」という問題意識から、英文で書かれたものを今年20年ぶりに改訂して日本語で出版されたものです。個々の説明には、“ちょっと違う”と感じる部分もありますが、幅広くかつ歴史を踏まえて、わが国の文明を眺めるにはとても面白い本です。
 その中に、「趣味」という項目があります。それによると、趣味という文化が庶民に定着したのは江戸時代 (主に都市) で、例えば、絵画、演劇の分野でも、専門家はもちろんのこと、かなりの部分を素人が占めていたとのことです。しかも、それは何か実用的な目的を前提にしたものではなく、あくまで“趣味を楽しむ”ためであり、「芸が身を助くるほどの不仕合 (ふしあわせ)」 と考えられていたとあります。
 最近の風潮は“専門能力を高め、仕事に活かす”ですが、これはこれで、この国が生き残っていく上で必要なことです。ただ、自省をこめて申し上げれば、“趣味にかける時間があったら仕事をしろ”はもしかすると、江戸時代よりも文化的に退化している証しかもしれません。
 自らを高める楽しみは、経済の分野だけではありません。そのための扉はすぐ傍 (そば) にあるような気がします。カルチャーセンターやお茶・お花のお稽古 (けいこ) をみても、大衆文化の共有という面でも、わが国は高いレベルにあると思います。仕事に止 (とど) まらず、自らの世界を広げていきたいものです。
 ところで、明治時代というと何が浮かびますか。「文明開化」 という言葉も必ず挙げられると思います。確かに、欧米の技術や仕組みを積極的に取り入れていますが、その間、わが国から輸出したものも少なくありません。
 山梨では、生糸を思い浮かべる方が少なくないと思いますが、それよりももっとインパクトが大きく欧米に浸透していったものがあります。例えば、アールヌーボーに象徴される絵画・浮世絵、イギリスのガーデニングに影響を与えた花木、陶磁器など、一言で言えば、わが国の文化の発信です。
 この10年間の不況の中で、経済面では、東京への一極集中が進みました。残念ながら東京から発信されるものが多いと思います。しかし、文化は違います。山梨が発信するものが必ずあると思います。歌壇、俳壇、柳壇を拝見しても、潜在的な素養は高いのではないですか。どうか、恥ずかしがり屋の教養人の皆さん、山梨の文化を発信してください。



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