11月11日付
市民社会の時代

情報公開こそ 「住民自治」 の原点

平成の大合併、もう一つの忘れ物
主役である市民と協議、協働を


  「昭和の大合併」 は、大きな摩擦を生みながらも1945 (昭和20) 年に1万520あった市町村を11年後の56 (昭和31) 年には4668と半分以下に減少させた。この合併の大義は 「義務教育」 の徹底を図ることにあった。ところで、「平成の大合併」 はまだ途上だが、総務省の発表によると99 (平成11) 年3月時点の全国の市町村数は3232であったが、2005 (平成17) 年10月11日現在2192と32%減少している。ちなみに山梨は64から36と44%減であり、全国の中では比較的順調に合併が進んでいる (11月1日に甲州市発足で現在34市町村)。
 さて、今回の合併の大義は 「財政の再建」 である。04年末の国と地方の長期債務残高は719兆円に達し、対GDP比率では実に161.2%である。アメリカ、ドイツ、イギリス、フランスは50〜70%の水準にあり、財政赤字に悩んでいたイタリアでさえ118%程度に改善されている。財政再建が今回の合併の大義であることは国民も十分承知している。しかし、もう一つの大義 「住民自治」 についてはどうであろうか。あまり議論されないまま合併が進められているケースが多く、忘れられてしまった感も否めない。
 振り返ってみると、我が国の社会統治の仕組みは400年ごとに変わってきた。平安遷都の800年頃からの400年間は貴族統治の社会であった。鎌倉幕府が誕生した1200年頃からは武士の統治がはじまり、1600年徳川幕藩体制の誕生から明治維新を経て現在までは、官僚による統治の時代と位置付けることができる。特に、明治以降のこの百数十年は先進国へのキャッチアップを目指して、官僚主導により国民が一丸となって 「富国強兵」 を推進してきた。「官尊民卑」 の思想や 「お上依存体質」 はそうした中で醸成されてきたものであり、この体質はそう簡単に変えられそうにない。
 昨年の 「年金改革」 に関する国会のやりとりをみても、肝心な情報がいくつか後出しになったことは記憶に新しいところである。肝心なところの情報は出さない体質がまだまだ残っている。
 3月18日、全国市民オンブズマン連絡会議が発表した第9回 「都道府県と政令指定都市の情報公開ランキング」 をみると、公開度が高かったのは岩手、宮城、鳥取、長野であり、最下位は福岡県であった。山梨県は41位で昨年の34位から後退している。情報公開で有名な北海道ニセコ町の逢坂誠二町長 (現在は衆議院議員) は、毎日の町長日誌まで公開するという徹底ぶりであった。ここまでやるべきかどうか是非もあるだろうが、住民自治を進めていくための大前提は情報の共有である。
 鳥取県智頭町では、97年から 「日本0分の1村おこし運動」 を始めている。この運動は、小さな自治単位である地区ごとに、全戸が自腹を切ってまでやる気のある事業に対し 「地域経営助成金」 を10年間にわたって出し続けるという制度である。単年度の補助金ではなく、10年かけてお上依存体質を払拭 (ふっしょく) させ、自分たちの町は自分たちで経営する考え方を定着させ、無(0)から有(1)への一歩を踏み出させようという運動である。
 また、先日開催された山梨県立大学 「地域研究交流センター」 開設記念シンポジウムで、千葉県市川市の市長が 「地域の自立」 をテーマに講演したが、市川市では、今年度から市民税の1%を、納税者が推薦するボランティア団体やNPOに託そうと 「市民活動団体支援制度」 を導入し 「市民の手による地域づくり」 をスタートさせている。
 この制度はハンガリーやポーランド、リトアニア、スロバキアなどが導入した 「パーセント法」 といわれる制度である。共産主義国家から民主主義国家への移行過程において、社会にとって不可欠だが、経済的に自立困難な教会や美術館、公共的文化機関など公的サービス団体に財政支援する制度として始まったものである。
 21世紀は市民が主役、「市民社会の時代」 である。公共政策や事業の推進に当たって市民の意見を聞くことはもちろん、計画当初から情報を公開し、協議し、協働し、最終的には権限を付与するところまで住民自治を確かなものにしていかなければならない。



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