12月23日付
小選挙区制のウラ側

集権化する政党政治

地域間格差、所得格差が拡大
小泉自民党の対抗政党育たず


 前回11月18日付本欄で筆者は、衆議院選挙における「小選挙区制」は、実に「不条理」な制度であると書いた。それは、これが民意を反映せず、極端なまでに非線形性を呈することをもって論難したのであったが、この制度にはさらにもう一つ危険な「特徴」がある。その「特徴」が発揮されるか否かは場合によるのだが、ここへ来て案の定それが発現した。そのことについて、今日は話そう。
 中選挙区制度下の政権政党では一選挙区から過半数の当選者を出さなくてはならなかった。そのために「敵は本能寺」、同一政党の「味方」が、選挙では最大の「敵」になる。そのために「党内党」と揶揄(やゆ)された派閥が跋扈(ばっこ)したのである。自民党では「三角大福中」などは特に有名だったし、社会党でも右派と左派は党内党としてついに最後まで対立的に共存した。
 特に政権政党である自民党の派閥は、各種業界とそれに関係する国家官庁を巻き込んで政・官・業トライアングルの中核でもあった。先の総選挙における自民党「造反」議員の一部には、こういう旧来の権力関係の中に留(とど)まろうとした人達が含まれており、それが自民党の前近代性の表れでもあったから、そういう構造を完全に破壊した点において、小泉執行部と選挙制度の効能は大いにあったのだという見解は十分に成立しうる。
 しかし、何事にもコインのもう一面が存在するように、ここでも弊害が露出する。「小選挙区比例代表並立制」では、原理的に政党が優位な政治的主体となる。一政党は一選挙区に一人しか公認候補を立てないから、どうしても公認権を掌握している党中央執行部の権力が肥大化する。
 しかも、前回にも述べたように小選挙区制では、各候補は強い支持者に支持される強い個性より、強い反対者を持たない弱い個性の方が適応的であり、選挙総体は中央における党首のイメージによって決定的に決まる。最下位で当選するに過不足ない程度の強い支持者を持つ強い個性の候補が、彼をサポートする圧力業界団体の強い結束力によって優位に当選を果たすという、中選挙区における選挙とは、ここが決定的に異なる。
 それゆえ、候補者の命運は党首に強く依存し、党首への帰依心が著しく強化される。「小泉チルドレン」達の言行を見れば一目瞭然にこれが納得できるであろう。
 党中央の権力が強化され、かつそこに虎の威を借る狐(きつね)が就任すると、もはや目もあてられない。党内民主主義は完膚無きまでに崩壊する。先の選挙では、最初に「刺客」が送られ、次いで「造反」者の処分が行われ、ついに都道府県議会議員の公認権までも党中央が与(あずか)るという新機軸が提示されたのである。
 そもそも、国会における代議制とは、国内各地域から地域住民の民意を体した議員が政策を提案し審議することである。それゆえに政権政党には多元性を担保する包容力が無くてはかなわない。しかるに、現議会勢力は「劇場型」の都市型選挙で勝利した勢力であり、「小さな政府」を思考する「新自由主義」が主流をなす。それだけに地域問題は置き去りにされていくことが十分に予想される。
 既に、過去4年の新自由主義的政策によって、地域間格差と所得格差は存分に拡大している。年俸100億の高額所得者がいるかと思えば、中高年者を中心に交通事故死の4倍・3万人を超える自殺者がいる。機会を多く与えられる者と、そうでない者が峻別(しゅんべつ)され始めた。近年、若者と中高年者の失業が増え、特に東北・北海道や四国・九州・沖縄などにおいて著しい。この時代の地平には社会不安という黒雲が見え隠れしている。その意味からも、フランスで起こった暴動は「他山の石」として学ぶべきである。
 政治的イシュー(論点)としては、新自由主義的政治に対抗して、消費者保護・フェミニズム・高齢者福祉・環境保護・職業紹介などの高福祉型の対抗政治が存在しうる。しかし、第二勢力の前原民主党は小泉自民党の先を急いでいるようで、このままでは対抗馬たり得ないように見える。そもそも、地域では、首長選挙などで、相も変わらず自公民相乗り選挙を繰り返している。これでは対抗勢力が育つはずがない。
 波乱万丈の2005年もあと1週間を残すのみとなった。知的で健全な対抗政治が生まれる初夢を念じながら、煤払(すすはら)いにでも精を出すか。
 この1年間のご愛読を深謝する。



掲載の記事・写真の無断掲載を禁じます。ホームページの著作権は山梨新報社に帰属します。