10月8日付
社会保障と高齢化

人と人を軸にした 「高齢モデル」

老後に大切な人間関係
社会保障費の半分が 「高齢」 向け


 先週、厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所から2002年度の社会保障給付費が発表されました。総額は過去最高の83兆円。給付を個別にみていけばそれぞれに必要性があると思います。それにしても、国の予算 (一般会計) 80兆円、国民所得400兆円と比べると巨額です。また、83兆円の財源は社会保険料55兆円では賄いきれず税金26兆円が投入されています。では国の財政に余裕があるかというと、一般会計80兆円の財源のうち、税金は半分の40兆円に止まり、残りの大半は国債などの借金です。こうした借金が積もり積もって、国債など長期債務だけでも国と地方を合わせると700兆円を超えており、しかも、さらに増え続けています。
 景気対策も福祉も大切ですが、これは、もう限度を超えているというか異常事態です。でも、最近の風潮は、社会保障費が減るのは困る、それでは増税するかというとこれにも猛反対。誰しも税金は少ない方がいいし、貰 (もら) えるものは多く欲しい。しかし、これはあり得ない話です。皆が出し合った金の範囲でできることをするのが政治・行政の本来のあり方ではないでしょうか。
 この問題に関しては、様々な議論がありますし、知恵を出し合って解決するしかないと思いますが、ひとつ肝心なことは、「政治や行政に期待し過ぎない」 ということです。
 経済・金融問題をはじめ公的セクターへの要望はそれこそ膨大です。あれもこれもでは金もかかります。絶対にやってもらいたいことは何か。例えば、教育、治安、消防。また、富の再分配も社会を維持するためには必要でしょう。しかし自分たちでできることも少なくないと思いませんか。
 財政の構造改革に最も必要なことのひとつは、われわれの意識改革です。国や県や市町村ばかりに頼らないという自負というか気持ちではないでしょうか。頼れば頼るほど、回り回って付けも大きく跳ね返ってきます。もちろん何から何まで自分でやるべきと言っている訳ではありません。ただ、バランスが公的セクター依存の方に傾き過ぎている気がしています。
 さて、冒頭申し上げました社会保障費ですが、同研究所の発表では、そのうちほぼ半分の41兆円が 「高齢」 に使われています。わが国の年齢構成を考えると今後さらに増加していくのは明らかです。ただ、本稿ではその金額の多寡を議論する気はありません。“個人の視点”から 「高齢化」 をちょっと考えてみたいと思います。
 自分の年齢になると退職後の生活を考えざるを得なくなりますが、自分の場合は、まずは食っていけるかどうか、次に生き甲斐をどうみつけていくか、さらに寝たきりや痴呆になった場合どうするか、の三つがポイントです。
 最初の二つについては、正直言って先のことは分かりませんが、自分なりに工夫したり努力してみるつもりです。でも、寝たきりや痴呆の場合は社会にお願いするしかありません。また、高齢化の難しさは、これまで積み上げてきた人生との折り合いのつけ方です。しかも100人いれば100通りのライフスタイルがあります。簡単に 「お年寄り」 で括 (くく) られ、型どおりにおとなしく暮らしていけ、ではたまらない。平均年齢を考えると“無職”のままが長過ぎます。
 充実感を得るためにも何かしないとまずい。自らの経験を生かす方法もありますし、お金以外の充実を軸に考える方法もあります。本当に困ったときには“ヘルプ信号”を出させてもらう代わりに、そこまでは何とか生き甲斐をみつけて気持ちも自立していきたいと考えています。そのときに大切なのは、パートナーであり、仲間です。
 山梨の無尽講は、考えてみると、結構いい仕組みかもしれません。人と人との繋 (つな) がりは大切ですし、損得なしの議論はそれだけで楽しい。そんな中で、「ちょっとやってみるか」 といったアイデアがでてくればもっと面白いと思います。人と人を軸にした“高齢モデル”を作ってみませんか。





掲載の記事・写真の無断掲載を禁じます。ホームページの著作権は山梨新報社に帰属します。