10月29日付
万物の霊長

5圏域で“自圏域”処理計画を

ヒトの性としてのごみ問題
「93年時点」 に立ち返ってみる


 北北西に八ケ岳の全山を眺め、正面には甲斐駒ケ岳に鳳凰三山を望む、まさに山岳写真集のグラビアのような絶景の地、明野村浅尾地区に県は産業廃棄物最終処分場を造ろうと計画した。1994年9月のことだったから、早いものであれからもう10年の歳月が過ぎていった。この計画は、その前年93年の9月に県が制定した 「公共関与による産業廃棄物処分場の整備方針」 に基づいて、その第1号として定めたものだが、この間、天野・山本と二人の知事がこの問題にコミットしながら未だに出口が見えない。
 このように病が膏肓 (こうこう) に達してしまったのは、第一ボタンの掛け違いがあったからに違いない。こういう時、人はどうするのだろうか?最善の方法は、間違ったボタンまで戻って、正しいボタン穴に留め替えるのである。
 一般に、「産業廃棄物問題」は、企業活動を通じて「地域の経済基盤」の問題である。ここでは、時として自然のサイクルに任せていては循環し得ない厄介物が産出されることがある。こういうことは人間以外の動物ではありえないという意味で、これはヒトの性 (さが) である。だからこそ、間違い地点まで戻る勇気を私たちは持たなければならない。
 明野村 「廃棄物最終処分場」 問題については、2004年3月27日付、村廃棄物最終処分場問題検討委員会が同村長に提出した「答申」、及びこれに基づいて、同村長が同年3月31日付で県知事に提出した「提言書」に詳しいので、ここではその一々を論ずることはしない。この二つの文書には、正鵠 (せいこく) を射た意見が表明されており、大筋で異とするに当たらない。
 そこでは、管理型処分場がもたらす周辺環境破壊・汚染の必然性を指摘した上で、なお持続可能な社会を目指す廃棄物行政への転換のために、
1. 廃棄物抑制策の現実化 
2. 県民参加の行政システムの構築 
3. 「燃やして埋める」 ゴミ行政の変革 
4. 違法行為の絶滅と、良貨が悪貨を駆逐するための業界への働きかけ、などを提言している。また、これらを現実化するために、長野県が検討している 「信州廃棄物の発生抑制と良好な環境の確保に関する条例」 に匹敵する 「環境保全条例」 を本県でも制定するよう求めている。
 ただし、立場上当然のことながら、この二つの 「提言」 では、山梨県域内で発生する 「産業」 廃棄物の処理をいかに進めるべきかという現実的なソリューション(解)については何も言及していない。が、そもそもこの問題の出発にあった課題は、産業廃棄物の 「自県内処理」 の原則であったのだが、本県は 「明野村問題」 に逢着していたために、この課題への解答を結果として怠ったまま今日に至っている。その結果、他府県依存のゴミ行政を心ならずも続けたのである。それゆえ、「自県内処理」 へのソリューション提出は喫緊の義務である。
 ところで、全国には47都道府県と約3000の市町村に、この種の最終処分場が1000カ所を超えてある。平均すれば3自治体に1カ所の勘定だ。その伝でいえば、山梨県内では20カ所必要ということになるが、産業系ということからGDP(国内総生産)比率を使って割り出すと、これを1%として、10カ所でよいことになる。そういえば、93年に定めた上述の「公共関与による産業廃棄物処分場の整備方針」では、県内5圏域(峡北・峡中・東山梨・西八代・南巨摩・郡内)に各1カ所ずつ設置するとして企図していたものである。
 その後の、経済活動の低迷、あるいは産業構造の変化、加えて資源再利用技術の発達なども考慮すれば、93年時点の方針は、現在に適合的な判断であったということができる。
 明野村住民を除く県民の殆 (ほとん) どは、産業廃棄物問題を他人事と捉えているに違いない。まして、明野村を除く自治体の首長は問題を明野村に限局することで、今まで安心立命してきたというのが本音であろう。これは決して正しい態度とは言えない。大至急、93年時点に立ち返り、かつ上記 「環境保全条例」 の精神に沿って、再度5圏域で自律的に 「自圏域内処理」 計画を立てるべきだ。これこそが、地方分権の実というものであろう。
 耕作放棄され、葛 (くず) に覆われて原始林に返ろうとしている現地に立って思った。ゴミを自家薬籠 (やくろう) 中のものとして扱えて初めてヒトは万物の霊長になれるのだ、と。その意味で、今はまだ猿以下だ。





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