11月12日付
本を楽しむ

読書を通じて山梨再発見

「山梨の本屋」 に少ない 「山梨の本」
清張作品など本県舞台の小説も宝


  猛暑、台風を経て、ようやく秋も深まってきましたが、秋といえば読書。『本を楽しむ』 が本日のテーマです。
  「マス・コミ文化は、新聞、雑誌、出版のような固体から出発して、映画によって流動体となり、さらにラジオ、テレビの発達普及によって気体化の方向にむかいつつある」 −。不思議に納得する言葉ではありませんか。これは、古本屋でみつけた大宅壮一の 「昭和怪物伝」 (昭和32年) の一節です。卓越したというか大宅さんのすごい先見性に脱帽です。ほぼ50年後の現在、文化は空中を飛び回っています。
 ただ、日本人は、今も本を読むことが好きな国民であるとも思います。満員電車の中でも少なからぬ人達が体を捻 (ね) じ曲げながら読書に耽 (ふけ) っています。これはこれで迷惑という面もない訳ではありませんが、本はわれわれを豊かな気持ちにしてくれます。
 また、考えさせられることもあります。例えば、ピーター・フランクルの 「数学の愛しかた」 という本。ご承知のとおり、フランクル氏は数学者であり大道芸人でもあるハンガリーの人です。自叙伝あるいはハンガリーの現代史という観点からも読み応えのある本ですが、数学と日本人に関する洞察もかなり面白い。“日本人は、名字や名前に数字を使ったり数字で遊ぶぐらい、数学に愛着を持っている一方、数学は二度とみたくないと考えている人も多いのはなぜか。数学の面白さは、個人個人の創造力を基に 『考える』 ことであるのに、日本では小さいときから画一的に算術などを覚えこませているので自ら考える芽が摘まれてしまうのではないか”といった趣旨です。数学に止まらず、子供達に何を教えたいのか、どう育って欲しいのか、ひいては、どういう社会にしていきたいのか、そういう問題提起であると思います。
 このように、僕は、奈麻余美文庫の植松光宏先生が著書 「視聴草」 (山梨ふるさと文庫) でお書きになっている 『書林浴』 に浸かりつつ、現実からの遊離を楽しんでいる訳ですが、そのための大切なインフラは本屋さんです。特定の本を目的に行くこともあれば、「今日はどんな本に会えるかな」 という気分で行くこともあります。
 ところが最近の本屋さんは率直に言って味気ない。入り口近くには、ベストセラーと雑誌。次に目に付くのは、経営やノウハウ本 (成功の秘訣を人に教えちゃっていいのかな。筆者が善人なのか本の中身が無いのかなんて考えるのは僕だけでしょうか)。そして資格関係とコミック。同じ人がレイアウトを考えているかのように似ています。これでは本のコンビニ。
 ついでに山梨の本屋さんにお願いがあります。先日、山梨の方が書かれた本を探したのですが、巡り合ったのは5軒目の本屋さんでした。その店でさえ、広い店内に山梨の本は低い棚 (たな) 一つだけ。普通の本ならインターネットでも買える時代に山梨の本屋さんが山梨の本をほとんど置かないのはちょっと冷たいな。ぜひ置いて欲しいと思います。
 山梨は自然、歴史、風土、果実、工芸など山ほどの資源に恵まれています。自分は門外漢ではありますが、文学も素晴らしい。ある方の出版記念会に参加した時に、ご列席の皆さんとお話させていただき、改めてその広さと深さに感銘を受けました。
 また、山梨を好んだ作家も多いと思います。松本清張の小説には、甲府、石和、韮崎など山梨がよく出てきます。大切な宝の一つではないでしょうか。
 言い過ぎかもしれませんが、地元が地元を粗末に扱っている気がしてなりません。本を通じて、山梨の再発見を進めてみませんか。





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