2010年1月22日付
観光立県(2)

駕籠(かご)舁(か)き的発想やめよ

ニセコ会議が示唆するもの
「地域の誇り」を生み出す


 2008年10月1日現在、早川町の人口は1371人である。全国に801の町があるが、人口規模別に見ると早川町は801町中の801位、全国で最も小さな町である。ここに日本上流文化圏研究所がある。06年にNPO法人に衣替えをしたが、設立は1996年7月だから、14年目を迎えている。早稲田大学や筑波大学などから若い研究員が集まってきて早川町をモデルに日本の上流文化圏について研究を続けている。
 この研究所では、これまでに全国の上流圏に呼びかけて「日本上流文化圏会議」を開催してきた。早川町を皮切りに、宮崎県の五ヶ瀬、静岡県の本川根、岐阜県の加子母などで開催しているが、98年7月、北海道のニセコ・アンヌプリスキー場での第2回「日本上流文化圏会議inニセコ」は印象深いものであった。
 会議の中で日本上流文化圏研究所の理事長下河辺淳氏(元国土庁次官で戦後日本の国土開発の根幹をなした全国総合開発計画、通称『全総』の1次〜5次まで立案した元総合研究開発機構=NIRA=理事長)は、全国から集まった仲間たちに次のように語りかけた。
 「政治とは中央のものではない。このような会の中から生まれるものである。今、日本は本当に不景気なのだろうか、むしろ過剰消費を好景気としてきた経済を問い直すべきではないか。そんな生活スタイルを求める動きがやっと始まった、消費者のすばらしい選択が始まっている、と見るべきではないか。どんどん古い産業から新しい産業に切り替わる、まさに濁流の中にあるため、失業率が多少高くなったり、一時的に経済が滞ったりすることもある。しかし、時代は転換し始めた。価値観の地殻変動も起きている。限りある地球環境からの恵みの中で人間と自然が共生するために、われわれは率先して新しい暮らしをつくり出さなければならない」。
 思えば今から11年も前のことだが、今聞いても新鮮である。
 下河辺さんの挨拶(あいさつ)に続いて全国各地から参加された仲間たちが次々と発言した。島根県石見銀山生活文化研究所長の松葉登美さん、ニセコ高橋牧場経営の高橋守さん、札幌の航空写真家清水武男さん、富山県利賀村の中谷信一さん。中でも2人の発言は極めて印象的であった。
 その一人は、ニセコの逢坂誠二町長(現衆議院議員)の「観光は重要だが、有島武郎記念館は観光拠点とはしない」という言葉である。有島武郎は、白樺派の作家で『カインの末裔』『或る女』『一房の葡萄』などで有名だが、1922(大正11)年、所有していた広大な農場を無償で小作人に開放するという画期的な農場開放を実践し、その相互扶助の思想が当時、社会に大きな反響を呼んだ思想家でもある。  逢坂町長は有島武郎のその思想・精神を風化させてはならないと思ったのではないだろうか。また、経済優先の時代から、文化が成熟する時代への転換を感じ取っていたのかもしれない。
 現在、記念館は農場開放に至る軌跡の展示のほか、アートギャラリー、カルチャーセンターなど文化活動の拠点として地域の人々の心の拠(よ)り所(どころ)になっている。
 もう一人は、「小樽運河を守る会」の会長峰山冨美さんの言葉である。ニシンも獲れなくなって、無用の長物となっていた運河を埋め立てて道路にする計画が市議会で決議された時、「運河のない小樽は、小樽ではない」と立ち上がり、市や議会、商工会議所などを相手に20年にも及ぶ市民運動を繰り広げた人である。運河を残すことができた小樽は観光に火がつき、年間600万人もの人々が訪れる街となり、土産品店やすし屋が軒を連ね、賑(にぎ)わっている。
 しかし、彼女は、その街を見て「小樽は観光業者の街になってしまった。こんな小樽を作るために戦ってきたのではない」と涙を流したのである。
 観光とは何か、ただ、大勢の人々に訪れていただき、駕籠舁(かごか)きをして儲(もう)ければよいということではない。峰山冨美さんが言う通り、観光客に見透かされてしまったとき元の木阿弥(もくあみ)になる。表面的なものが囃(はや)された時代は終わった。観光地としての持続する魅力は地域の歴史や文化の中に息づいている地域の誇りであり、思想ではないか。
 リニア新時代を控え、駕籠舁き的発想ではなく、成長から持続へ、経済から文化へという地殻変動を読み取り、歯を食いしばってでも、地域の誇りを生み出したいものである。



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