2010年3月26日付
ニーベルングの指環

油、その最後の一滴

混迷深める石油争奪戦
迫られる産業政策の転換


 史上最大規模の音楽と言えば、その舞台装置と演奏時間からして、断然ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環(ゆびわ)」だろう。序夜に続く3夜の4日間をかけて延べ15時間余の舞台というだけでも凄(すご)いが、作曲家が26年の歳月を制作に費やしたと聞けば、その情念としても尋常でないと想像がつく。
 物語は、ラインの乙女達に守られて閑(しずか)に河底に眠り続けてきた伝説の「ラインの黄金」を、ニーベルング族の強欲男アルベルヒが盗み出すところから始まる。その「黄金」から鋳造された「指環」は単に金銭的な価値だけでなく、これを所有する者には世界を支配する力も与えられるという。欲望と野心をたぎらせた男達、その中にはなんと神ウォータンまでが、「指環」の争奪戦に参加するのだった。
 しかし、これを手にした途端に彼らは争い、傷つき、最後には「神々の黄昏(たそがれ)」の下で全員が死んでいく。指環はもとのラインの処女たちの手に戻り、再び河底で深い眠りにつくのである。
 この歌劇は、途中第二次世界大戦後の数年間を除いて、1876年以来バイロイト音楽祭で毎年上演され続けてきた。それというのもこの物語が常にその「時代」を暗示してきたからである。そして今、この「ニーベルングの指環」を「石油」に置き換えてみれば、その類似に驚嘆せざるを得ない。
 石油は、ラインの河底ではなく、アメリカ・ペンシルベニアの荒れたトウモロコシ畑の片隅で発見された。これを独占したアメリカは、よちよち歩きのひよこ国家から押しも押されもしないヘゲモニー(世界支配)国家へと急成長したのだから、石油は間違いなく「ラインの黄金」に相当であった。
 そのアメリカの蒸気船によって太平の眠りを覚まされた我が日本も、石油利権の争奪戦に参加する。だが、1941年8月1日、アメリカによる石油全面禁輸措置に遭遇し、ABCD(米英中蘭)ラインという名の経済封鎖を受けるや、これを突破すべく無謀な戦争に突入した。この時代の合言葉が「油の一滴は、血の一滴」だったのは、筆者の記憶にはまだ生々しく残っている。
 1960年頃をピークにしてアメリカの石油は枯渇し始めた。まさにヘゲモニー国家の血液が不足し始めたのである。そこで目を付けたのが中東地域だった。中東の砂漠に「中東戦争」という名の油争奪の砂嵐が巻き起こったのは、その砂底に石油という「黄金」が発見されてからである。
 こう見てくれば、石油王でもあったブッシュ家二代の大統領が起こしたイラク戦争の本質は、「石油利権」をめぐる「ニーベルングの指環」の争奪そのものだったことが分かるだろう。我が国がそこに「参戦」したのも、小泉純一郎氏が意識していたか否かは別にして、「指環」争奪の戦いに引きずり込まれたのだという事実は明白だ。そして今後、石油という「指環」をめぐる争いは、新興工業国家中国とインドという、過去に類例のない巨大な多人数国家が参入してきたことで必ずや深刻さを増すだろう。
 過日、発想の豊かさで知られる養老孟司先生と話していたら、先生は「石油の最後の『一滴』が出終わったその後にどう生きるか、これが未来を語る最大のテーマです」と仰(おっしゃ)っていた。「血の最後の一滴が体から出てしまったら、人間は死にますね?」と畳みかけたら、「石油起源でない血液で生きられる人だけが生き残る。僕は大丈夫だよ、森や昆虫とだけ付き合ってきたから、石油無しでも生きられる」と先生は胸を張った。
 いま、この国と地域を取り巻く状況は実に深刻だ。その深刻さの淵源(えんげん)は石油油田の枯渇と、その結果として石油価格の高騰のためである。その高いコストを上回る利益を得るためには人件費を削るしかない。ために、工場は海外に出て行くか、労働者に馘(くび)切りや低賃金を強いるしかない。国も県も、一刻も早く産業政策を根本から改めなくてはいけない。石油の「最後の一滴」が出終わる日は、すぐそこに迫っているのだから。
 本稿をもって本欄は幕を閉じることになった。筆者が執筆陣に加わったのは03年4月18日だったから、早いもので満7年が過ぎた。この間、拙稿をお読み頂いた多くの皆さん、分けても毎回のように読後感想を寄せて下さったK・JさんやY・Kさんに心からお礼申し上げる。再びお目にかかれる日を念じつつ涙を拭(ぬぐ)って筆を擱(お)く。



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