「山梨新報」2017年4月7日掲載
甲州市塩山上井尻の集落の一つ、中井尻地区はかつて「蟹沢池」と書いて「がんぜき」と呼ばれていた。今も70歳代以上にはなじみのある地名だが、若い世代にはほとんど知られていないという。同地区でもボランティアグループ「蟹沢池いきいきクラブ」(増田英仁代表)などわずかにその名をとどめている程度。地名の由来にはカニが関係する悲恋や雨乞いの逸話が残っている。
県連合婦人会が編さんした民話集「ふるさとやまなしの民話」によると昔、この集落の貧しい農家の娘と隣村の名主の息子が恋に落ちたが、身分の差から結婚を許されず、「あの世で一緒に」と、2人で大きな池に飛び込んだ。翌朝、池に2匹の大きなカニを見つけた村人の間で「2人の化身に違いない」と評判になり、その池を「蟹沢池(がにざわいけ)」と呼ぶようになったという。
また諏訪大神社(甲州市塩山上井尻)の社記には、天平宝字元(757)年、日照りのために雨乞いすると豪雨になり、カニが集まってすみ着いたため、近隣を「蟹沢池」と呼んだと記されている。
いずれにしてもこの「蟹沢池」がもとになり地元で「がんぜき」と呼ばれるようになったらしい。
かなわぬ恋の舞台になった蟹沢池は実在したとみられ、今も池の跡とされる場所が一部残っている。同地区に住む元塩山高校長の飯島武志さん(73)宅に伝わる古文書に「蟹沢池」の文字が記されている。江戸時代中期の正徳元(1711)年に作成された土地台帳で、地目や持ち主、広さが記されているが、池の大きさまでは不明という。また寛政7(1795)年の古地図には池があったとみられる場所には道祖神のみが記されていた。


江戸中期の古文書に記されている「蟹沢池」の文字
「(民話は)母が祖父から聞いた話。母は祖父の3、4代前のおじいさんの頃には池は大きく深かったと話していた」と飯島さん。小学生時代、運動会の地区対抗リレーなどで「がんぜき」と呼ばれていたといい、「いまだに中井尻よりは『がんぜき』の方がしっくりくる」という。ボランティアクラブの名称に「蟹沢池」の地名を〝復活〟させた増田代表(85)は「歴史ある地域の名なので、忘れられないように残していきたい」と話している。
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