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タイトル「山梨の地名と民話」 弘法大師の手形や“指紋石”
印沢
印沢
市川三郷町
おして石
余白 余白 弘法大師の右手の手形とされる印石
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「山梨新報」2017年6月2日掲載

 JR身延線市川大門駅の南に位置する市川三郷町印沢。現在「いんざわ」と読むが、同地区には弘法大師が手形を残したとされる「印石(おしていし)」が伝わっており、かつては「おしてざわ」と呼ばれていたという。
 印石の由来は「市川大門町誌」に記されている。昔、諸国を巡行していた弘法大師が、道端にあった大きな石に腰掛け、食事をしながら、村の様子などを村人に尋ねていた。食事を終えて黙とうした後に、石に手を突いて立とうとすると、石がへこみ手の跡がついた。驚いた村人が「随分力が強いが、どなたですか」と尋ねると、大師は「力で石をへこますことはできない。心の力でならできるが」と答えた。村人は「ただ者ではない」と思い、村人たちを集め、「もう一度」とせんがんだ。大師が石に手をつくと、再び手は石の中にめり込んだ。村人はその不思議な力に敬服し、大師から説法を聞いた。後になって、弘法大師だと分かり、村人は石を大切にまつり、村の名は印沢(おしてざわ)になったという。
 同地区内にはこの伝承にまつわる、弘法大師の手の跡が残るという自然石が二つあり、「民俗学的に貴重」(町教委)として町の文化財に指定されている。

左手の印石

左手の印石
左手の印石と手形(右上部分・破線)


 左手の印石(高さ84cm、幅100cm、厚さ75cm)は、地元の曹洞宗源昌寺の萬霊塔(1757年)隣に、右手の印石(高さ110cm、幅75cm、厚さ50cm)は同寺から約300m東のやぶの中にある。

左手の印石
右手の印石の手形(中央やや下部分・破線)

 江戸時代の地誌「甲斐国志」によると、同寺はもともと弘法大師が開いた真言宗の廃跡だったという。また弘法大師伝説のほか、印沢(現印川)から指紋に似た模様のある石が自然に出ることが村名の由来とも記し、印沢には「おしてさわ」と読み方が振ってある。
 町教委などは「いつ頃から『いんざわ』と呼ばれるようになったかは不明」としている。右手の印石正面には、2本の木柱の間にしめ縄が掛かっている。近くに住む70代の女性は「正月になると、しめ縄に紙垂を付ける習わしがある。昔から地域の信仰の対象だった」と話している。

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印石左手
(源昌寺)


印石右手
(Googleマップ)




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