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武田氏編1 信虎・信玄父子の「吉夢」

夢見山
甲府市
夢見山
余白 余白 「夢見石」があったと伝わる夢見山山頂
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「山梨新報」2017年7月7日掲載

 県立愛宕山こどもの国園内にある夢見山(標高439㍍)は、そこで眠れば縁起の良い夢が見られると伝わる。武田信虎が信玄誕生を告げる夢を見た話や、クモが戦の吉凶を占う夢を信玄が見たという伝説に基づくもので、名の由来にもなったとされる。
 伝承では甲斐国に侵略してきた今川勢に勝利した武田信虎が、まだ近くに残る敵の様子を探ろうと愛宕山の上にある小山に登ったところ、眠くなり石を枕に寝入ると、夢の中で男子の誕生を告げられたという。夢から覚めた信虎の元に若君の誕生の知らせが届いたことから、信虎が登った山を「夢山」、別名を「夢見山」と呼ぶようになったという。(江戸時代中期の地誌「裏見寒話」に基づき、甲府市文化協会が発行した「ふるさと甲府の昔話 伝説 世間話第1集~第3集・合併号」)
 この山には信玄の夢にまつわる伝説も伝わる。県教育会西山梨郡支会「西山梨郡志」には、夢見山には夢見石という大きな石があったという。信玄がある日、山に登り、夢見石でうたた寝をしていると、夢に天女が現れ、「三味線を聞かせる」と言って寄木を組み立て弾き始めようとした時、信玄は目を覚まし、体にクモの糸が巻かれていることに気が付いた。それ以降、信玄の枕元にクモが現れ戦の吉凶を占うようになり、信玄が没した後には夢見石でまどろむと誰でも佳夢が見られると伝わるという。
ただ、夢見山は「夢山」として古くは平安時代中期の歌学書「能因歌枕(のういんうたまくら)」、鎌倉時代後期の私選和歌集「夫木抄(ふぼくしょう)」などに見られる。夢山の由来は「不明」(同市)だが、「夢山」「夢見山」は混用されていたらしい。
 また浮世絵師の歌川広重の「不二三十六景 甲斐夢山裏富士」には夢山越しに富士が描かれており、甲斐の景勝地として知られていた。現在、夢見山は県立愛宕山こどもの国の少年自然の家から自由広場に続く遊歩道から登頂できるが、前方に木々が高くそびえているため、山頂から甲府盆地や富士山を望むことはできない。
 県学術文化財課によると山頂に石が多いのは愛宕山一帯が安山岩でできていて、岩盤が風化し石になったという。また、武田氏滅亡後の豊臣秀吉政権下、愛宕山の石は甲府城の石垣に利用され、山裾の一部が甲府城愛宕山石切場跡として県指定史跡になっている。

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夢見山地図
(Googleマップ)



1-蟹沢池

2-亀沢

3-お姫坂

4-蟹追橋

5-笛吹川

6-石動

7-団子新居

8-姥塚

9-印沢

10-金井

11-橋立

12-萩原

13-柄杓流川

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